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がんをきっかけに見つけた、
新しい生き方
【プロフィール】
- 名前:渡辺さん(仮名)
- 年齢:60代
- 病歴:肺がんステージ3 A
50代のとき、何気なく受けた健康診断のオプション検査で肺がんが見つかった渡辺さん。
自覚症状もないまま始まった抗がん剤治療は、副作用との苦しい闘いでした。
仕事を失う不安や孤独を抱えながらも、主治医の勧めで治験に参加。
治験参加中は担当医師や治験コーディネーターが親身に悩みを聞いてくれたことが心の支えになりました。
「がんになっても人生は続く」──渡辺さんは、そう力強く語ります。
偶然の検査が、命を救った
―― がんが見つかったきっかけを教えてください。
「毎年、人間ドックを受けていたんです。そのとき、今までオプションというものをつけたことがなかったですが、受付時にたまたまオプションで“腫瘍マーカー”をつけてみようと何気なく思ったんですよ。もしあの時オプションをつけていなければ、がんに気付くこともなく、今もマラソン大会に出ていたと思いますね。」
渡辺さんは、横浜にお住まいの会社員。管理部門で忙しく働きながら、ランニングをしたりお酒を適度に楽しむ健康的な生活を送っていました。しかし、その“偶然”からの検査結果で腫瘍マーカーの異常が見つかり、精密検査の末に「肺がん ステージ3A」と診断されました。
治療が始まって初めて知った、副作用の厳しさ
―― 診断を受けたとき、どんなお気持ちでしたか?
「最初は、がん治療自体を正直“軽く”考えていました。体調も悪くなかったし、ちょっと入院して治療したらすぐ戻れるだろうって。でも抗がん剤治療が始まると、下痢が止まらなくなって……水を飲んでも下痢、食べても下痢。髪も抜けて、治療開始直後の年末年始は本当にボロボロでした。」
一度退院したものの、体調悪化で救急搬送。さらに、コロナ禍で面会制限もあり、孤独との闘いもありました。
「抗がん剤副作用がきつかったうえに、同じ部屋の人の毎晩のいびきや日々の感情的な会話や怒鳴り声に耐えられず、後先考えず、ただ『もう帰りたい!』と思ったこともありました。でも帰ればまた救急搬送。そんな中で、家族や医療者の支えがどれだけ大きかったか、身にしみました。」

「もう一度、社会で生きたい」――治験との出会い
―― 治験に参加されたのは、どんなきっかけだったのでしょう。
「一旦治療が落ち着いたタイミングで、ちょうど治験を先生に紹介してもらって、
早期に仕事復帰もしたい自分にとってはぴったりの治験でした。先生から勧めてもらった“飲み薬の治験”は会社を休まずに続けられるということで『これなら復職できるかもしれない』という希望が持てました。」
「“治験”という言葉は初めて聞きましたが、治験について先生や治験コーディネーターさんから丁寧に説明を受けました。新しい薬を世に出すために自分の体でデータを集める。それで自分も良くなるなら、いいなと思えたんです。」
「家族も最初は治療ではない“治験”に戸惑っていましたが、最終的には”やってみよう”と背中を押してくれたこともあって参加を決めました。とはいえ治験って誰でも受けられるものではなく、条件を満たさないと参加できない。だからこそ、“運も良かった”と思っています。」
治験がもたらした希望
――治験に参加していた間、どのようなサポートを受けていましたか?
「治験中は定期的に血液検査をはじめMRI検査やCT検査など複数の検査を受けていて、その結果をきちんと血液検査のデータとして残してもらえました。
結果としてそれがすごく安心材料になりましたし、復職のときには、その検査結果を“健康のエビデンス”として産業医に提出していました。最初は復職に慎重であった会社をその客観的なデータが後押ししてくれました。
毎月のデータが“健康の証拠”になって、仕事に復帰する自信につながりましたね。
また、その後の転職の際にもその“健康の証拠”は自分の業務スキルとは別に私という人間を説明することに役立ちました。」
――治験の中で印象に残っていることはありますか?
「治験コーディネーターさんの存在が本当に大きかったです。
先生には少し聞きづらいことや、ちょっとした不安・愚痴も治験コーディネーターさんには話せました。
仕事のこと、体調のこと、前に進むかどうか悩んだときも、相談するといつも親身に聞いてくれて。」
「数字(検査結果)が一度も悪くならなかったのも支えでした。自分の体調を確かめながら、“前へ進もう”と思えたのは、先生と治験コーディネーターさんお二人のおかげです。」
――治験を通して、どんな変化がありましたか?
「治験で得たデータは、単なる数字ではなく、自分が健康を取り戻しつつある“証”でした。
そして、支えてくれる人がいる安心感もあって、治験は私にとって“前に進むきっかけ”になったと思います。」
仕事との両立、そして見えてきた社会の課題
「当時の会社では、休職期間は労災以外は半年で満了となり、その間に復職できなければ解雇でした。そんな仕組みを、それまでの自分は人事の立場で淡々と取り扱ってきました。でも、いざ自分がその仕組みの対象になってみてその重さを痛感しました。」
管理職として会社を支えてきた渡辺さんでしたが、休職期間ぎりぎりの復職時には役職をすべて外されており、職場での居場所を失ったといいます。
「当時の会社ではがんを経験した人が周りにいなかったせいからか、復職後の雰囲気は“腫れ物扱い”のようでした。仮に持病が糖尿病や肝臓病なら働くチャンスに制限はないのでしょうが、それが“がん”だと“もう仕事は無理”と見られてしまう。スキルも経験もあるのに、任せてもらえない、チャンスをもらえない――その狭間でずっともがいていました。そんな中でも“健康の証拠”を支えに根気よく転職活動し、運よくがん患者であることを承知で採用してくれる企業に転職することができました。」
社会ではいまだに「がん=死」というイメージが根強く、治療を経た人の就労や活躍の場が制限される現実を痛感したと語ります。

変わっていく価値観と、日常の尊さ
「がんが分かってからは物欲がすっかりなくなりましたね。ただ、生きているだけでも住宅ローン支払いのほかにも住民税や社会保険料などお金がかかるんだと実感して、どう収入を確保するかを含め“どう生きるか”ということが人生の主軸になりました。」
がんになったからこそ、家族の大切さや何気ない日常のありがたさに気づけたと話します。
同じ境遇の人たちへ伝えたいこと
「チャンス(治験)があるなら、迷わず掴んでほしい。治験は必ず効果があるとは限らず自分の治療に繋がらないこともあるけれど、“人生をもう一度前に進めるきっかけ”になると思います。」
治験をきっかけに、再び社会へ、そして人生へと歩みを進めた渡辺さん。
「がんになっても人生は終わりじゃない。むしろ、“どう生きるか”を見つめ直すきっかけになります。前を向いて、自分のペースでやれることを一歩ずつ進んでいけばいいんです。」

編集後記
渡辺さんの言葉には、病気を経験した人にしか語れないリアリティと、治験を通じて得られた希望がありました。
治療の選択肢が広がる今、治験は「未来の医療を支える一歩」であり、「自分の命を守るもう一つの道」となる可能性もあります。
【インタビュー記事に関する免責事項】
本インタビュー記事は、患者様ご本人の実際の体験やご意見に基づき構成されています。
1. 記載されている内容は、あくまで個人の体験に基づくものであり、すべての方に当てはまる効果や結果を保証するものではありません。また、本記事は情報提供および啓発を目的としており、特定の治験を推奨するものではございません。
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